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社長コラム
Vol.4
日本のコーヒーは変わる
1.スターバックス以前

もともと日本には独自に培われた喫茶店文化ともいうべきコーヒー文化がある。それを育んできた喫茶店やコーヒー専門店の数は、総務省統計によると、最盛期に全国で15万店を数えている。1986年はその数15万1千店、従業員数53万人の産業であった。それが10年後の1996年には、店数10万店で△32.5%、従業員数は37万人で△30.8%となる。さらに5年後の2001年は、店数9万店で△12.8%、従業員数33万人で△10.1%と減少が続いている。

一方コーヒー業界に目を向けると、同時期の茶・コーヒー製造業は、2001年の事業所数3,670社で1996年対比△12.9%、従業員数3.5万人で同対比△12.6%である。ここには茶製造業の数字が含まれるが、近年の減少率でみると、喫茶店の△12.8%と茶コーヒー製造業△12.9%はよく似た数字となる。

ここから、喫茶店がコーヒー製造業に支えられ、コーヒー製造業は喫茶店を営業基盤としていたことが理解できる。であれば、共に業界の活性化を図り、体質の強化と、市場規模の拡大に努めなければならない。

一般的にコーヒーは原価率の低い商品である。販売量を増やせば利益が増える。加えて嗜好品であり、味と品質の評価が簡明ではない。従ってコーヒー会社の営業活動では、低価格と物のサービスがともに重視され、いつしか卸価格とサービス負担に見合う商品の製造という、構図が生まれていった。

看板やコーヒーマシーンなどの設備・什器から、メニューの提案や、喫茶技術のトレーニングに至るまで、全てを頼る喫茶店があり、それをそっくり抱え込むコーヒー業界が、この営業手法を継続するには、応分の利益をいただかなければならないという悪循環。

こうして品質よりも、価格とサービスの競争が市場に蔓延してゆく。コーヒー会社の営業所の裏や倉庫の隅には、回収した看板が山積みされていたものだ。開店が多いだけに閉店もあるし、競争に負けて他社に顧客を奪われてしまうこともある。

一方、技術の進歩に支えられた冷凍食品の登場があり、喫茶店が食堂化していく。コーヒー会社は、メニュー提案が容易で売上増をもたらす冷凍食品に力を注ぎ、喫茶店もコックレスで客単価が上がる食事メニューを積極的に導入していく。一時的には客数減を客単価アップでカバーする効果をもたらすのだが、反面、コーヒーへの拘りが薄れていく。

コーヒーが美味しい喫茶店から、コーヒーも飲める喫茶店への転身である。そうした多くの喫茶店で、一杯のコーヒー価格は高止まり、店のイメージは古く、サービスも低下してゆく。

1980年に誕生したドトールコーヒーショップは、こうしたマイナスイメージを払拭して、消費者の新しいライフスタイルに応えようと登場したのである。たった一社から始まったイノベーションが、20年を過ぎた今、文字通り日本を代表するコーヒーショップに成長した。

同時に低価格コーヒーショップ業態として、多くの参入を促し、市場の活性化を牽引してきた。こうして成熟してきた日本のコーヒー市場に、スペシャルティコーヒーとエスプレッソビバレージを携えたシアトル系コーヒーショップが登場し、急激に拡大している。消費者はその時、幾つも選択肢のある豊かさを手にしたのである。
2.スターバックス以後

1996年夏、スターバックスコーヒージャパンの最初のショップが、  銀座松屋裏に開店した。米国スターバックス社は、多くの日本企業からオファーを受けていたが、パートナーに選んだのは、雑貨・ファッション・飲食に業態展開する㈱サザビーであった。名高い外食産業でもコーヒー会社でもなく、高感度企業を選んだのである。

それから7年余りで500店舗を有する屈指のコーヒーショップチェーンに成長した。そのコーヒーの特徴は深煎りの強い香りとフレーバーにあり、エスプレッソとミルクのバリエーションコーヒーが、消費者に新鮮な衝撃を与えたのである。店舗の内装は米国そのままにおしゃれで、サービスは細かな気遣いに満ちている。目の前で丁寧に抽出されたエスプレッソが、バリスタの技術によってフォームミルクと合わされ、クリーミーなカフェラテが一大ブームを巻き起こした。その結果、ヘビーユーザーが次々と誕生することとなる。

ここで誰がスターバックスを支持したのかに目を向けると、興味深い数字に行き当たる。全日本コーヒー協会のコーヒー飲用統計によると、年齢別・週当たりの杯数は、男性の18~24才が11杯、25~39才が15杯、40~59才が14杯であるのに対して、女性では18~24才が5杯、25~39才が11杯、40~59才が13杯であり、スターバックスの主な客層である女性18~24才の層に、ぽっかりと隙間があったということができる。

今までコーヒーを飲まなかった層が飲む習慣を身につけたのだから、コーヒー市場は拡大する。業界が仕掛けるどんなキャンペーンよりも、スターバックスの登場効果に軍配があがる。これはコーヒー業界に限らない。参入が活発で適切な競合が維持される市場は、新鮮な提案に満ち溢れて、常に魅力的なのである。

こうしてスターバックスに次いでシアトル系御三家といわれる、タリーズコーヒー(1997)とシアトルベストコーヒー(1999)が続き、同時にイタリアのセガフレード(1998)が相次いで展開を始めている。これら全ては、個人または異業種企業によるパートナー契約で国内進出を果たした。スターバックスコーヒー1社で幕が開いたコーヒーイノベーションに強力な援軍が次々と登場したのである。当初、静観を決め込んでいた多くの国内喫茶店チェーンや焙煎企業系のコーヒーショップチェーンも、1998年から相次いでエスプレッソ業態を立ち上げている。この市場の可能性を目指して、既存の大手コーヒーチェーンが追跡を始めたのだ。
3.日本のロースターの現状

現在はコーヒー卸価格のデフレ現象に歯止めがかからない。加えて、業務卸の販売量は落ち込み続けている。そうした環境で機器や設備の貸与や協賛には限界があり、顧客を選別せざるを得ないのだが、その分、良い顧客には各社入り乱れて売り込みが殺到する。この論理を商圏に置き換えてみると、良い商圏=購買力の大きい大商圏に集中して侵攻する戦略が成り立つ。

大規模再開発ラッシュが続く東京には、デベロッパーの招致により、地方のカフェレストランの有名店が続々と登場しているのだが、コーヒー業界も同じように東京進出と集中が進んでいる。大手企業は、営業拠点の再編と強化を進め、人員投入を図り、巨大商圏の確保に懸命である。その結果一部では激しい顧客争奪戦が繰広げられている。

また、市場の成熟を睨みながら、新機軸の直営店を世に問う企業も現れている。ユニカフェが東京西新橋の本社横に開店したショールームカフェ「UNICAFE」は、ハウスブレンド\180の他に、ペーパーによるハンドドリップで提供する、セレクトスペシャルティコーヒー\250を売り物にしている。エスプレッソビバレージはカフェラテ・カプチーノ各\230と逆に安い。興味深い価格戦略である。

こうした業務用マーケットとは一線を画しているが、家庭用マーケットでも気になる動きが見え始めた。スターバックスコーヒーが、新宿の小田急ハルク店以来となる挽売店を、広島の福屋本店に出店したのだ。続いて東京二子玉川の高島屋SCに挽売の3号店を出店している。

百貨店は、大手コーヒー会社の直営店の牙城と言われてきたが、今変わり始めたのは確かなようだ。一部では有力自家焙煎店の進出も始まっている。本年3月に、京都の老舗イノダコーヒが札幌大丸店に出店しているが、今後はこうしたブランド誘致が活溌になるだろう。シアトル系が日本の市場に浸透した次の市場の動きとして、大変に興味深い。
4.自家焙煎コーヒー専門店の躍進(総論)

現在のコーヒー市場は、業務用のコーヒー卸とその顧客である喫茶業界にとって、大変厳しい市場環境といえる。しかしその中にも、永く品質と技術に拘り、消費者を啓蒙しながら、地域のコーヒー文化を育んできた企業やコーヒー専門店が多数存在している。

その形は違っていても、コーヒーに出会い、惚れ込み、苦労に耐え、努力を怠らなかった方々なのだ。そうした中から共通の魅力や特徴的な戦略を確認する意味で、地方有力ブランドのいくつかを後述してみたい。

コーヒー専門店のオーナーの多くが自家焙煎の道を歩むのも、目の前のコーヒーそのものに問題意識をもつからだ。過去にサービスや技術では解決できない問題に至るとき、その多くがコーヒー豆の品質であった。しかしコーヒー専門店は自家焙煎でなければならないということではない。カフェや喫茶店がどういうコーヒーをお客様にお出ししたいのか、熟考した上で真剣に努力をお願いしたい。

自らこうした経験を踏まえて品質を高めてきた方々のコーヒーが、背伸びをすれば使える時代が始まりつつある。自ら納得できる一杯のコーヒーのために、コーヒーと向き合い、業者と向き合い、顧客と向き合ってきた彼等は、ともすれば常識を疑うことで壁を乗り越えてきた。

こうして 今までとは少し異なる視点、独自の豊かな発想が、コーヒービジネスの底で確実に広がりつつある。
5.自家焙煎コーヒー専門店の躍進(各論)
事例① ひたちなかSAZA COFFEE

サザコーヒーをロースター企業とみるか、老舗自家焙煎店とみるかで捉え方が異なるのだが、どちらにしても、その魅力が変わるわけではない。サザコーヒーの本店には、威風堂々とコーヒーの王道をいくような迫力がある。孤立無援の戦いを続けていくうちに、一人また一人と理解者が現れ、いつしか大きなうねりになってサザコーヒーを包み始めたのだろう。そこに至るまでの道程に30数年の時間が必要だったのだ。

1969年に喫茶店且座(サザ)としてスタートし、現会長の鈴木誉志男氏が社長に就任した2年後の1974年には自家焙煎を始めている。1980年にコーヒーの卸業を始めるのだが、平坦な道のりではなかった。4店を構える直営喫茶店と、卸顧客の喫茶店では、いろいろな違いや矛盾に直面している。それから10年近い1989年、カフェとショップを中心に、ギャラリーと焙煎工場を併設した本店を開店している。

迫力というのは、この本店の年輪の深さに圧倒されることだ。それでいて常に新しい。戻すことの出来ない「時間」を大切にすることは、自らの生き方、隣人、社会、そして世界を大切にすることだ。コーヒーは、歴史の様々なシーンに立ち会い、人心を動かし、ときとしてその歴史を左右してきた。その魅力に思いを馳せながらこの本店が生まれた。

ところで且座の店名だが、且座喫茶とは「これから座って茶を愉しむところ」という意味の漢文から命名されている。花を生けて香をたき、炭を熾し、茶を煎れて、皆で茶を楽しむ儀式に由来している。茶の伝統に則り、始めて出店する喫茶店に且座の名を冠する潔さに、あらためて思い至る話である。表千家を嗜む鈴木会長の命名である。

サザコーヒーは多くの自家焙煎店と異なり、業務用卸にも自然体で取り組んでいる。しかしそれはコーヒーだけの卸である。コーヒーの機器や関連備品は扱うのだが、敢えて間口を広げることはしない。しかしながら、問い合わせが寄せられ、請われた結果として、顧客が広がっている。現在600店の納入先をもつが、文字通りにコーヒーだけで顧客を支えている。
また、サザコーヒーは地元スーパーを始め、東京代官山の高級食品ストアTAVELTなどに挽売店を構えている。現在各地で中堅スーパーが、食品に特化して業績回復を果たしているが、その柱はオープンキッチンのデリ総菜コーナーや本格的なインストアベーカリーであり、それらのコラボレーションによる明るいカフェの存在が、買い物の楽しさを取り戻した。

売る側の効率追求への反省から、楽しく買い物ができる工夫の大切さに気づき始めたのだ。反面、その華やかさに較べると、多くの食品スーパーは、コーヒーの品質や売り場への拘りが感じられない。バイヤーの知識不足なのか、未だにロングライフ商品が売り場に並んでいる。 消費者はそれでも製造日を選びながら購入しているのだ。

コーヒーはパッケージデザインの良し悪しで、永くファンの支持を得られるものではない。サザコーヒーの出す挽売店の動向に期待するところである。

30年という時間が、ブランドを育み、その重圧に耐えながら次なる視点を拓いたサザコーヒー。産地への拘りも、美味しいコーヒーを突き詰めてのことだし、そこに辿り着くまでの必然性に支えられた歩みなのだ。

中南米4カ所の契約農園から生豆を直接買い付けし、ついにはコロンビアでコーヒー農園を所有して経営に乗り出したのも、変わりゆく産地の情勢と無縁ではない。

経済効率を優先する中で、いかに多くの価値が失われてきたことか。こと、コーヒーについては見過ごせないという思いが、孤立無援ではないサザコーヒーを素直に喜びたい。
事例② 札幌 宮越屋珈琲

札幌はコーヒーが似合う都市である。長い歴史を持つコーヒー会社があり、自家焙煎の有力企業が排出している。そして現在もコーヒーに夢を託した若い企業が次々と誕生している。こうした街を歩くと、市民生活の中に定着したコーヒー文化をふと感じることがある。それは古い喫茶店の佇まいであったり、重厚なカフェの扉であったりする。

そうした場所のいくつかが宮越屋珈琲の店である。「深煎りネルドリップ」という缶コーヒーが登場したのは最近のことだったと記憶しているが、ネルドリップは、日本で完成の域に達したコーヒーの抽出方法だ。ネルの素材に拘り、形状を試行錯誤し、裏や表で議論が百出するように、多くの専門店がそれぞれのスタイルを誇りにしている。その結果としてコーヒーへの興味と品質への拘りを深めてきたし、そうした専門店には永く通うファンがいる。

奥深さを知る人のコーヒーには、飲む者を導く香りがあるのかも知れない。また、都会のオアシスを求める人々に、そのコーヒーが潤いを提供しているのかも知れない。永い歴史を刻んでいくとき、その周りにコーヒー文化が根付いていく。
宮越屋珈琲は若い会社である。創業は1985年、宮越陽一氏30才の時。円山裏参道ステージビルのカフェアンフィニから歴史は始まる。1987年には札幌の中心、南2条西3丁目にホールステアーズカフェ(パレードビル)を開店している。

「カフェで、都市の活気と文化をつくっていきたい」というコンセプトを形にしたものだ。さらに「一日に一度、気に入ったカフェで過ごす。とびきりおいしいコーヒーのある時間」を提供したかったと続く。サードプレイスという言葉を聞き慣れた、今を遡ること16年前である。

とびきりのコーヒーを提供するために自ら焙煎する。当たり前のことだが、自分が美味しいと思うコーヒーに巡り逢わなければ、自ら創るしかない。顧客はそこに美味しいコーヒーがあるから飲みに行く。身近に美味しいコーヒーがあることは幸せである。おいしさを一度味わえば忘れられない。

今はPeetsのコーヒーを、訪米の度にまとめ買いして飲んでいる消費者がいる時代である

宮越屋珈琲の現在の店舗数は直営と委託を合わせて25店を数えるが、その多くが札幌市内に集中している。大通り周辺をみると、カフェ・コーヒー専門店・挽売店・エスプレッソバールと業態を広げながら、ドミナントが形成されている。その中に複数店のスターバックスコーヒーが進出しているのだが、影響はあまり受けていない。むしろ昨年からは、出店力に弾みがついたようだ。

2002年10月に札幌アルタ2FにBuddy Café を出店した。ユニークなメニューコンセプトのカフェである。 2003年はまず札幌駅西改札口前のPASEO1Fに宮越屋珈琲を出店、続いて札幌大丸と同時オープンのJRタワー展望フロアにT 38タワーカフェを出店、更にジャスコ札幌苗穂店と出店が続いている。駅ビルや大型商業施設への出店は、過去の布石があっての誘致であり、そういうロケーションでは、必ずシアトル系コーヒーショップと相まみえる。

しかし、札幌に宮越屋珈琲ありといわれるブランド力と、本格ネルドリップとエスプレッソの商品力、さらに、カフェから専門店までの完成された業態をもつことが最大の強みとなっている。また、カフェでスタートした宮越屋珈琲だが、1991年にはコーヒー豆の販売を開始している。上質の豆を長時間かけてじっくり深く焼くことで、宮越屋珈琲ならではの味が生まれる。どこにも負けない焙煎をしたいという初志を貫く深煎りコーヒー豆の販売は、札幌三越の直営店を皮切りに、今後大きなビジネスチャンスをもたらすはずだ。
事例③ 徳島珈琲美学

徳島は自家焙煎コーヒー専門店が多い。珈琲美学はその一つだが、抜き出た一つである。

小原博氏は東京での学生時代に、東京プリンスホテルを皮切りに、赤坂や青山のレストランなどで調理と接客の経験を重ねている。こうして学んだ接客の魅力を絶ちがたく、故郷徳島に戻った1978年に、阿南市で喫茶店を開店した。東京時代に調理の腕を磨き、通い詰めたコーヒー専門店の知識を生かした選択だった。

しかし、料理を手作りで提供しながら、コーヒーを人任せにすることに違和感を覚え、自家焙煎に進んだのである。持って生まれた探求心に火がつき、いつしかコーヒー漬けになっていく。その結果、「焙きたて・挽きたて・煎れたて」の一歩奥の世界に思い至る。

行き着くところは素材である生豆の品質であり、その恵みを活かすために、自らの焙煎の方法とその技術の探求が始まった。1980年、徳島市郊外にコーヒー専門店「でっち亭」を開店するのだが、コーヒーの味創りとともに、店舗空間の重要性に気づき、生け花(草月流)と茶道(裏千家)の門を叩く。同時に設計と建築を学び始めている。

ときとして、一見回り道にも思える若い日の経験に、後年救われることがあるものだが、小原氏は、自ら課したテーマに次々と結果を出している。だからこそ、1991年に開店したコーヒー専門店「珈琲美学」が、お客様を惹きつけて離さないのだ。

もちろん深煎りコーヒーとネルドリップの組み合わせである。学生時代に、吉祥寺のモカとの出会いから芽生えたコーヒー屋への夢が、また一つ大きくなっていく。
珈琲美学はコーヒー専門店だが、エスプレッソコーヒーの導入が比較的に早い。イタリア視察から戻った1993年からのチャレンジだが、そのエスプレッソが現在の珈琲美学に活かされ、バリエーションコーヒーが売れ筋に育っている。新しいジャンルのコーヒーメニューに集うファンと席を並べて、ネルドリップの愛好者がたおやかな時間を過ごしている。

意識的に設計された高い空間によって、メニューや顧客層の広がりを受け止められたことは、自ら、建築と設計を学んだ成果として実を結んだのだ。実はこのメニューの中にも、価値ある仕事がある。フードメニューのスパイスピラフとパニーニは、調理の経験に裏打ちされた売れ筋メニューだ。レストランを唸らせる本格派のフードメニューである。

そしてバリエーションコーヒーのキナコカフェ。ひところ揚げパンに黄粉をまぶしたキナコパンが話題になったが、エスプレッソにフォームミルクと黄粉の組み合わせが絶妙でロングラン商品になっている。

地元での名声が高まるにつれて、自然発生的にコーヒー卸の仕事が始まる。近隣のコーヒー専門店やベーカリー・パティスリーなどの卸に加え、最近は地元徳島や高松で開業するカフェの顧客が増えている。学んだ建築設計の知識を活かし、機器設備の情報を組み合わせて、親身に相談を受けている。

ネルドリップやエスプレッソなどのコーヒーから、ビバレージそしてフードメニューの提案まで対応している。またコーヒーに関する知識や技術の教育を行い、オペレーションのトレーニングを実施できる体制も揃えている。自社バリスタの派遣講習など、一歩進んだサービスを提供できるのも、社員数28名を擁するプロ集団の力である。

小原氏は幾度と無くコーヒー産地に出かけ、納得できる良質生豆の直接買い付けを共同で始めている。同様の動きは珈琲美学に限らない。オークションの共同入札などを通じて、各地の有力自家焙煎店グループで広がりをみせているのだ。こうした個々の高い意識に支えられて、現在コーヒー店の現場が動き始めている。まさしく明るい材料だが、それは来るべき淘汰の始まりでもある。
6.コーヒー業界の今後

日本の生豆輸入量は700万袋を超えて世界第3位の輸入国になった。コーヒー消費量の中ではレギュラーコーヒーが一貫して拡大している。また全日本コーヒー協会の統計から、コーヒーを飲用場所でみると、家庭用が継続して増加を示しており、喫茶店及びコーヒーショップは、新業態の台頭があるものの、減少傾向が続く。

こうした状況から、コーヒー業界では家庭用の市場に進出するための積極的なチャレンジが始まっている。コーヒーが生鮮食品であるという認識が高まるにつれて、家庭用のコーヒーは対面販売か、鮮度が見える売り方が台頭してきた。自家焙煎店の多くは最初からこのスタイルだったが、卸中心のコーヒー会社では別の切り口が多い。

それは超高速焙煎機を設置した挽売店の出店だったり、スーパーや生協向けに焙煎日をアピールした商品の開発だったり、新たな販売チャネルとして、カタログ通販やネット販売へのチャレンジというものである。パッケージデザインや販促の効果で一度の衝動買いを誘うことはできる。しかしそのコーヒーを継続して購入する例はそう多くはないようだ。ロングライフコーヒーやインスタントコーヒーの顧客には、鮮度は強力なアピールになるだろう。しかし、コーヒーには更に多くの美味しさの決め手が存在している。学びながら嗜好を高めていく消費者に、次はどう対応するのだろうか。

喫茶店やコーヒー専門店が顧客を獲得するためには、身近な場所で、美味しいコーヒー体験を重ねてもらうことだ。しかしこれは人を頼って出来るものではない。どんなに評判の高いコーヒーを使うとしても、自らの店頭で直接顧客と向き合う努力が重要なのだ。

今年は全日本コーヒー商工組合連合会が取り組むコーヒー鑑定士検定制度や、日本スペシャルティコーヒー協会のコーヒーマイスター資格認定制度などの将来に向けた建設的な動きが始まった記念すべき年だ。従来解りにくかった業界の品質基準が検証されていく。

こうして正しい知識が消費者に届いたとき、コーヒー市場は転機を迎える。未だに減少傾向にある喫茶店やコーヒーショップが底入れを向かえて店舗数が増加に転じ、業務用のコーヒー消費量も増大する筈だ。

同時にカフェやビーンズショップへと枝分かれしてゆくニーズへの迅速な対応が、コーヒー会社に強く求められていく。
それは決して遠い未来のことではない。
有限会社カフェグッズ 小 林 文 夫
(2003.08出稿 2003.12一部加筆)