swan caffe & bakery 赤坂店 (2022.05 撮影)
初めに、スワン ベーカリー(SWAN BAKERY) から始まります。1998 年6 月にスワンベーカリー1号店の 「銀座店」 がオープンしました。場所は昭和通りに面したヤマト運輸・銀座支店の一画で、創業者の小倉昌男氏が 1993 年に設立したヤマト福利財団の事業でした。障がい者の自立と社会参加の支援を目的として、軽い作業と形だけに近い報酬しか得られない仕事を変革したいと、小倉氏(当時会長)は考えたのです。そのためのビジネスモデルとして、「焼き立てのおいしいパンのお店」 に注目します。ただ、パン作り全ての作業を一からという高いハードルではなく、冷凍生地を店内で焼成するシステムを開発します。広島のタカキベーカリーの協力で生地を開発し、スワンベーカリーのスタイルが決まりました。
その後、ベーカリーとしてパンの販売を軌道に乗せる中で、さらに付加価値の高いビジネスモデルとして 「ベーカリーカフェ」 の開発に取り組みます。それは障がい者にカフェのフロントサービスを担ってもらうという、大きなチャレンジで した。ベーカリーでもレジ回りなどのお客様に接するサービス、商品の陳列や補充作業がありますが、カフェの接客サービスは一段難しさが増します。しかし障がい者と健常者が共に支えながら働くスワンが目指したカフェには、避けて通れない道でした。そのためには福祉活動に経験と見識のある指導者が求められました。「スワン カフェ&ベーカリー赤坂店」 の開発に指名されたのが増田秀暁氏でした。彼は株式会社スワン取締役赤坂店店長として参画します。
お取引は増田氏からのお声がけから始まりました。「スワンベーカリーでカフェ業態を開発しているが、包材について相談したい」 とのご依頼をいただいたのです。当時の国内で、米国 SOLO カップを幅広く扱っていた私どもは、こうしたご相談を何度か経験していました。しかし今回は宅急便ヤマトグループ創業者の小倉昌男会長の理念であるヤマト福祉財団のカフェ事業と知り、是非とも参加させていただきたいと思いました。
swan SOLO CUP
基本的なパッケージは SOLO の厚紙カップが 8 オンス(ショート)と 12 オンス(トール)、PET カップが 10 オンス(ショート)と 12 オンス(トール)に決定。デザインは神宮前のAWATSUJI DESIGN さんが担当されました。デザイン決定から入稿、その後は、SOLO 米国工場(当時の日本向け生産は、ニューメキシコ州アルバカーキ郊外のベレン工場)での製造へと進みます。しかし製品完成から輸入までのタイミングがタイトな中で、先行してメニュー撮影を行うことになります。その場所となったのが、港区東麻布のシアトル エスプレッソ システムズの直営店「Macchinesti ・マキネスティ」 (2009 年 9 月開店)でした。
小倉昌男会長の強い意向を受けた増田さんの拘りなのでしょうか、米国カフェ市場で最も評価の高い Espresso Vivace から輸入した珈琲豆を使い、La Marzocco のマニュアル エスプレッソマシーンで抽出した様々なコーヒービバレージを提供するのです。既にフルオートのエスプレッソマシーンも出回っていましたが、常に最高の商品と最良のサービスを求める小倉氏の変わらぬ理念だったと思います。
当時の Macchinesti Cafe
メニュー撮影当日の 2001 年 10 月 12 日、店内では大勢での作業ができないために店前の歩道に陣取り、AWATSUJI DESIGN さんの指示で撮影用のパッケージを次々と手作りしました。当時の弊デザイナーが的確に対応して作業はスムーズに進み、いくつものビバレージメニューの撮影が流れ作業で進みました。手貼りしたスワンデザインのカップにエスプレッソマシーンでラテやカプチーノをつくり、その場をスタジオ代わりに写真撮影が続けられたのです。
今回のメニュー撮影を支えたのは女性たちです。AWATSUJI DESIGN さんから粟辻美早代表と粟辻摩喜氏、マキネスティさんから伊藤千秋氏と金子美穂氏、そして弊デザイナーの平田とサポートの関それぞれがやり遂げました。
実はそれ以前にちょっとした問題が起きていたのです。この現場にはスワンベーカリーのコーヒーアドバイザーを務めていた喫茶コンサル会社の幹部と、私が日頃お世話になっていたユナイテッドコーヒー研究所代表の柄沢和雄先生がおられました。その問題がエスプレッソマシーンについてでした。当時 La Marzocco の正規国内販売店はなく、米国から取り寄せることになります。Espresso Vivace 経由で輸入するシアトル エスプレッソ システムズの辻社長と、喫茶コンサル会社の間ですれ違いがあったようなのです。詳しいことは分からないのですが、マシーンの機種と珈琲豆は決まり、最後のルートをどうするかであり、増田氏の判断に委ねられました。メニュー撮影にあたり、エスプレッソ システムズの各バリスタが繰り出す Vivace 譲りの洗練された技術や、美しく香り高いカプチーノには衝撃を受けました。彼女たちなら、スワンカフェでの技術指導やサポートも心強いと思われ、相談された際にはそうお伝えしました。
こうして 2001 年 11 月 22 日に 「スワン カフェ&ベーカリー赤坂店」 がオープンします。場所は 港区赤坂 1-2-2 日本財団ビルの 1F です。ガラス張りの明るい店内はバリアフリーで、障がい者と健常者が協力して働きます。カウンターではバリスタが La Marzocco をリズミカルに操作して美味しいコーヒーを提供しています。店内では障がい者がパンの補充やテーブル周りのクレンリネスに勤しんでいます。問題の全てが解決したとは言えないスタートだとしても、日本の障がい者雇用に大きな進歩をもたらすものでした。しかし増田氏が願うのは、甘えることなく、スワンの真価をお客様にお伝えすることです。そのために最高の珈琲豆を使い、最先端の La Marzocco によるカプチーノも、ドライとウェットを提供しています。
現在の SWAN CAFFE & BAKERY 赤坂店 港区赤坂 1-2-2 日本財団ビル 1F (2022.05 撮影)
ちょうどその頃、大きな話題となった映画がありました。「I am Sam (アイ・アム・サム)」 です。米国公開が 2001 年 12 月 28 日、日本公開は半年遅れて 2002 年 6 月 8 日でした。
7 歳児ほどの知能しかないという障がいを持つ若い父親サムと、その娘ルーシーが主人公の映画です。彼が働くのはスターバックスコーヒーの店舗で、カウンターや棚の雑貨とコンディメントバーの整理に、テーブル周りのクレンリネスが仕事です。時給は 8 ドルほどですが、周りの応援もあり懸命に働きます。しかし知能の問題や低収入が問題視され、子供と引き離されるかも知れない養育権の審判に向き合います。コーヒーを淹れる仕事が任されれば時給が上がり、低収入の問題を解決できると考えたサムはマネージャーにバリスタへの登用を訴えます。その後弁護士との懸命な努力も実らず、娘ルーシーは里子の立場に置かれるのですが、親子の絆は限りなく深い。周囲の人たちの心を動かし、里親の理解と協力を得た二人は、ともに生きる道を掴むことになります。
そして映画はエンドロールを迎えます。サッカーシーンから流れ始める Sarah McLacran の Blackbird に続き、美しい色彩の、心を魅了する絵がスクリーンを飾るのです。ここでは Sheryl Crow の Mother Nature’s Sonが静かに流れていきます。
その時に私が思い出したのは宮城まり子さんの 「ねむの木学園」 でした。浜岡の時代に2度ほど訪問させていただきましたが、障がいをかかえる子供たちの作品の素晴らしさに立ち尽くした覚えがあります。豊かな色彩と細かく精緻な描画、迷いのない筆致と明るく輝く作品の数々。現在は掛川市にある 「ねむの木こども美術館」は機会があれば、多くの人に訪ねていただきたいと思うのです。
「I am Sam」 はヒューマンなテーマに正面から取り組んだ素晴らしい映画ですが、その全編に The Beatles のカバー曲が流れます。この映画本編はもちろんですが、サウンドトラックもお薦めします。以下に 「I am Sam」 の予告編 YouTube を付けました。
私が映画を知ったのは封切の数年後でしたが、スワンカフェ&ベーカリーの国境を超えた普遍的な挑戦に驚き、感動を覚えました。それにしても実際、この映画のように障がい者雇用が広がるならば、カフェやコーヒービジネスはその大きなフィールドになるかもしれないと思ったのです。
私は 2002 年末で退職し、翌 2003 年 3 月にカフェグッズを創業しました。同じ頃 2003 年 4 月 30 日、スワンカフェの立ち上げに渾身の力を注いだ増田秀暁氏は、第 3 回 行政経営大賞 (Public Management Awards) を受賞されました。その時の彼の肩書は(元・株式会社スワン 取締役 赤坂店店長)と紹介されています。彼も新しい道に向かっていたのです。詳しい授賞理由は下記ホームページでご覧いただけます。
パンのディスプレイ
コンディメントバー
現在のホットドリンクカップ
Swan caffe & bakery 赤坂店店内(2022.05 撮影)
ベーカリーは一般に粗利益率が高いといわれる “粉ものビジネス” です。しかし朝早くから始まる生地作りや発酵などの作業、夕方閉店までという長時間の営業など、問題とされる点も多くあります。その点で冷凍生地を利用するベーカリーの場合は、焼成時間に合わせて解凍を始められますので、タイムリーに商品が揃えられ、補充もスムーズに行えるという利点があります。スワンベーカリーは当初から冷凍生地によるシステムを導入していますので、障がい者と健常者のバランスを考えた勤務体制が組みやすいのですが、労働付加価値などの点では不満を聞くこともあるようです。そうした様々な問題に対処するのが増田氏の大きな役割であり、彼でなければ成し得なかった大きな歩みだったと思うのです。
その後もスワン ベーカリー&カフェは出店を続けます。2022 年 4 月現在の店舗数ですが、ベーカリー&カフェが 7 店、ベーカリーが 17 店あります(海外含まず)。今は基幹店となるスワンベーカリー銀座店とスワンカフェ銀座店は建物の新築工事が始まりいったん閉店されていますが、スワンベーカリーは途切れることなく 24 年間を歩んできました。いまだに道半ばではあるでしょうが、しかし始めなければ辿り着けなかった現在地なのです。その先に、障がい者の自立を支える仕組みと環境があり、それぞれに笑顔が輝く未来が確かなことを願って止みません。
2022 年 6 月
小林 文夫